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東京高等裁判所 平成11年(ネ)5410号 判決 2000年5月16日

控訴人 正覚寺

右代表者代表役員 佐藤一応

右訴訟代理人弁護士 大室俊三

同 馬場泰

同 辻澤広子

被控訴人 A野太郎

右訴訟代理人弁護士 清見勝利

同 井田吉則

同 河野孝之

同 豊浜由行

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  主位的な控訴の趣旨

(一) 原判決を取り消す。

(二) 本件訴えを却下する。

2  予備的な控訴の趣旨

(一) 原判決を取り消す。

(二) 被控訴人の請求を棄却する。

二  被控訴人

控訴棄却

第二事案の概要

一  控訴人は、日蓮正宗の末寺であり、新潟市《番地省略》に墓地(本件墓地)を開設し、維持、管理している。被控訴人は、以前は日蓮正宗の信徒であった者であり、本件墓地内の原判決別紙正覚寺墓地配列図に赤色で表示された墓地区画(本件墓地区画)の永代使用権を有している。本件は、被控訴人が、本件墓地区画の永代使用権に基づき、本件墓地区画内に日蓮正宗の教義には沿わない原判決別紙墓石図面記載の墓石(本件墓石)を設置する権利を有することの確認を求めるとともに、本件墓石設置の妨害排除又は拒絶禁止を選択的に求めたものである。控訴人は、本件訴えは法律上の争訟に当たらないとの本案前の抗弁を主張した。

原判決は、控訴人の本案前の抗弁を排斥し、被控訴人の本件墓石を設置する権利の確認及び本件墓石設置の拒絶禁止の請求を認容したので、これに対して控訴人が不服を申し立てたものである。

二  当事者の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の当審における主張)

1 本件訴えが法律上の争訟に当たらないこと。

原判決は、被控訴人が本件墓地区画内に本件墓石を設置することができるかは、日蓮正宗の教義の解釈ないしこれに由来する宗教行為の当否について判断することなく実体判断することが可能であるとしたが、これは、司法権の範囲を逸脱し、控訴人の信教の自由及び控訴人ら日蓮正宗の自治を侵すものである。

控訴人は、日蓮正宗の末寺であり、本件墓地は、控訴人が日蓮正宗の信徒及びその親族ら有縁者のために開設した寺院墓地である。したがって、本件墓石のような墓石の設置が許されるかどうかは、日蓮正宗の教義に照らして判断することが必要である。また、本件墓石のような墓石が設置されたときにどのように宗教的感情が害されるかも日蓮正宗の教義に照らして判断することが必要である。本件はすぐれて宗教問題であり、法律上の争訟に当たらない。

2 訴権の濫用(当審における新たな主張)

本件訴えは、控訴人に対する攻撃ないし嫌がらせを目的とするものであり、訴権の濫用に当たる。

日蓮正宗と被控訴人が所属する創価学会とは、平成二年一一月ころから対立関係にあり、創価学会は日蓮正宗に対する攻撃を加えてきた。その一つの手段として、民事訴訟や刑事告訴がある。控訴人代表者は、新潟県の支院長であり、控訴人は、同県における日蓮正宗の代表的寺院である。したがって、本件訴えは、右のような攻撃の一環である。

3 合意、慣習の存在

原判決は、控訴人と被控訴人との間で本件永代使用権設定契約が締結された当時、本件墓地区画に設置する墓石に控訴人の住職が書写した題目を刻印する旨の合意は成立しておらず、本件墓地内の墓石正面には控訴人の住職が書写した題目を刻印しなければならないとの慣習も確立していなかったと認定したが、これは事実を誤認したものである。

正覚寺墓地使用規則(本件使用規則)では、使用者の資格について「本宗信徒又は本宗で祭祀を主宰する者」としている。本宗で祭祀を主宰するとは、本件墓地での墓石の建立や儀式は日蓮正宗の様式によることを意味する。そして、日蓮正宗の教義では、墓石正面に刻印すべき題目は当該寺院の住職の書写によるべきこととされている。

被控訴人は、本件使用規則を承知して本件墓地区画の使用許可(永代使用権)を得たものである。したがって、墓石正面に刻印すべき題目は控訴人の住職の書写によるべきことを承知していたというべきである。そうでないとしても、少なくとも、墓石正面には題目を掲げ、その題目については、墓地のある寺院ないし所属寺院の指示を受けて対処することを具体的に合意していたというべきである。

また、日蓮正宗の寺院墓地においては、墓石の正面に当該墓地を管理する住職が書写した題目を刻印することが、七〇〇年の伝統の中で確立され慣行となっていた。このことは、純粋な寺院墓地である本件墓地においても同様である。

4 控訴人の信教の自由の侵害

原判決は、姿形が似ていることから、本件墓石の設置が控訴人の宗教活動の自由を侵害するものではなく、宗教的感情の侵害も受忍すべき範囲内にあるとしたが、これは、日蓮正宗における題目の意義を全く理解しない、誤った判断である。

日蓮正宗において信仰上最も大切なものは「本門の大御本尊」であり、題目は大御本尊の主要根幹をなしている。したがって、その書写は、法主かその允可を受けた末寺住職のみがすることができる。また、題目の書写とその下付は、具体的な宗教目的と機縁の下にされる。このため、墓石には、そのために書写した題目を刻印する必要がある。

右のような題目の意義からすると、控訴人の住職が当該墓石のために書写した題目以外の題目を墓石に刻印することは、題目の流用として「謗法」に当たる。このような謗法行為を受け入れることは、控訴人の宗教的立場と相容れず、宗教感情上、到底受忍することはできない。

また、仮に本件墓石の建立が認められると、同旨の墓石の建立が一斉に求められ、本件墓地が日蓮正宗の墓地として成り立たなくなるおそれがある。その結果、控訴人の宗教活動全体を損ないかねない事態となる。

本件墓地の性質、被控訴人が本件墓地区画の使用許可を受けた経緯等からすれば、被控訴人は、改宗後であっても、日蓮正宗の定めにしたがった同様の墓石を建立するか、「A野家之墓」との非宗教的な墓銘の墓石を建立すべきである。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、控訴人の本案前の抗弁は理由がなく、被控訴人の本件墓石を設置する権利の確認及び本件墓石設置の拒絶禁止の請求は理由があるものと判断する。その理由は、次に記載するほか(原判決の判示と本判決のそれが抵触するときは、本判決の判示による趣旨である。)、原判決の判示するとおりであるので、これを引用する。

1  事実の経過

《証拠省略》によれば、本件の事実の経過は次のとおりであると認められる。

(一) 控訴人は、昭和三五年二月一日に、日蓮正宗の教義を広め、儀式行事を行うことなどを目的として成立した宗教法人(日蓮正宗の末寺)である。

控訴人は、昭和三七年一二月に、本件墓地となる土地を購入し、昭和三八年三月、日蓮正宗の信徒及びその親族ら有縁者のために本件墓地を開設した。

(二) 控訴人は、正覚寺墓地使用規則(本件使用規則)を制定し、昭和四九年四月一日から施行している。本件使用規則五条には、使用者の資格について「本宗信徒又は本宗によって祭祀を主宰する者」と規定されている。

(三) 被控訴人は、昭和四九年八月当時、日蓮正宗の信徒で創価学会員であった。被控訴人は、同月一六日、日蓮正宗の信徒として本件墓地の使用を申し込み、控訴人の承諾を得、本件墓地区画の永代使用権を取得した。

その際、被控訴人は、控訴人との間において、本件墓地の使用については本件使用規則によることを合意した。

(四) 昭和五一年一月に被控訴人の母親が死亡し、被控訴人は、本件墓地区画に母親の遺骨を埋葬した。しかし、被控訴人は、経済的理由から墓石を設置することができず、その代わりに、控訴人の住職が書写した木製の墓標を設置していた。

(五) 被控訴人は、平成四年一一月ころ、子供が成長して経済的ゆとりができたため、本件墓地区画に墓石を設置することを計画し、増子石材店に墓石の製作を発注した。

(六) 平成五年四月一八日、被控訴人は、妻とともに控訴人寺を訪れ、控訴人代表者に対し、本件墓地区画に増子石材店から示された題目を刻印した墓石(本件墓石)を設置したい旨を申し入れた。

これに対し、控訴人代表者は、本件墓地の墓石には控訴人の住職である同代表者が書写した題目を刻印する必要があると言い、本件墓石を設置することにつき承諾を与えなかった。

(七) 被控訴人が墓石に刻印することを希望している題目の文字は、日蓮正宗で使用されている「過去帳」に記載されている題目の文字であり、日蓮正宗宗務院の執事であった大村寿道(故人)によって書かれたものである。

(八) その後、被控訴人は、平成五年六月四日、本件訴えを提起した。

被控訴人は、本件訴訟が原審に係属中の平成九年一一月三〇日をもって日蓮正宗の信徒ではなくなった。

(九) 本件訴訟の原審においては、平成八年七月から平成九年三月まで裁判所によって和解が試みられた。しかし、控訴人は、本件墓地の墓石には控訴人の現在の住職が書写した題目を刻印する必要があると言い、「A野家之墓」との墓銘も拒否したため、解決には至らなかった。

(一〇) 控訴人は、原審の口頭弁論終結時である平成一一年六月一一日には、本件墓地区画に「A野家之墓」と刻印された墓石を設置することを認めた。しかし、題目の刻印に関しては、控訴人の住職が書写した題目に限るとの態度を変えなかった。

被控訴人は、一度は、「A野家之墓」と刻印された墓石を設置することで本件を解決してもよいとの意思を示したことがあったが、現在では、題目を刻印した本件墓石の設置を強く望んでいる。

また、当審において、和解を試みたが、双方の態度に変化はなかった。

2  法律上の争訟性について

(一) 宗教法人は宗教活動を目的とする団体であり、宗教活動は憲法上国の干渉からの自由を保障されている。このような団体の内部関係に関する事項については、原則として当該団体の自治権を尊重すべきである。裁判所は、原則として、これに立ち入って審理、判断すべきものではない。しかし、宗教法人とその団体の外部の者との紛争であれば、原則として、裁判所の審判権は制限されてはならない。宗教の名の下にこれを安易に制限すると、社会の秩序を維持することが困難になるからである。宗教法人とその管理する墓地に永代使用権を有する者との間の、個別的に特定された墓石を設置する権利の確認請求訴訟という具体的な権利義務に関する訴訟であっても、宗教法人とその信徒との間の争いである場合には、信徒がどのような権利を有するかは宗教法人の内部の規律に関するものとして、裁判所の審判に服さない場合があるというべきである。しかし、これが、宗教法人とその信徒以外の者との間の争いである場合には、その争いは宗教法人の内部の争いではなく、原則として裁判所の審判に服するというべきである。

被控訴人が平成九年一一月三〇日をもって日蓮正宗の信徒でなくなったことは、1(八)に認定したとおりである。したがって、本件訴えは、原則として裁判所が審判すべき訴訟であるといわねばならない。

(二) ところで、本件は寺院墓地が対象となっている。寺院墓地の場合、墓石を設置する権利の根拠となる永代使用権は、一定の制約を免れない。右制約の内容が宗教上の教義、信仰の内容に深くかかわっているため、右教義、信仰の内容に立ち入ることなしに制約の内容を判断することができないというのであれば、右訴訟は、法律上の争訟に当たらないことがありうる。

しかし、信徒でない者の永代使用権である以上、寺院と信徒の関係をそのまま適用することはできない。このことは、控訴人自身も、日蓮正宗の信徒でない者に日蓮正宗の方式に従うことを求めるものでないとして認めるところである。したがって、信徒でない者の永代使用権に課される制約の内容は、宗教上の教義や信仰の内容それ自体で決せられるのではない。あくまでも、信徒以外の者が設置する墓石としてはどこまでが許容されるかを判断するのであって、日蓮正宗の教義それ自体が判断の対象となるのではない。それ故、本件訴訟は法律上の争訟たりうるのである。

(三) 控訴人は、永代使用権に課される制約の内容を判断するためには、控訴人がどのように宗教的感情を害されるかを判断しなければならず、それは、日蓮正宗の教義の解釈、信仰の内容にかかわる旨主張する。当裁判所は、そのことを否定しない。信教の自由の観点から、控訴人の宗教的感情はできるだけ尊重すべきである。しかし、一方で、被控訴人にも信教の自由がある。本件では、控訴人の信教の自由と被控訴人の信教の自由との調整が求められている。このような場合、後に述べるとおり、双方の信教の内容に立ち入るのではなく、客観的に観察して制約の内容を判断するほかはない。したがって、控訴人がどのように宗教的感情を害されるかを判断するために、日蓮正宗の教義の解釈、信仰の内容に立ち入ることはない。

(四) 右によれば、本件訴えが法律上の争訟性を欠くことはないものというべきである。

控訴人の当審における主張1は、採用することができない。

なお、本件において、当裁判所は、両当事者の信教の自由を尊重するため、控訴人と被控訴人との協議による解決の機会を設けたが、解決に至らなかった。このような場合には、社会の秩序を維持するため、判決によって判断する以外に紛争を解決する途はないものである。

2  訴権の濫用について

《証拠省略》によれば、日蓮正宗と創価学会とは、平成二年一一月ころから厳しい対立関係にあり、創価学会は日蓮正宗に対する非難、攻撃を加えてきたこと、その一つの手段として、多くの民事訴訟や刑事告訴があること、控訴人代表者は、日蓮正宗の新潟布教区宗務支院長の立場にあり、創価学会の側からは、控訴人代表者個人に対しても、かなり強い非難、攻撃がされていることが認められる。また、1のとおり、被控訴人は、一度は、「A野家之墓」との墓石を設置することで本件を解決してもよいとの意思を示したことがあったことが認められる。

しかし、1で認定したとおり、被控訴人は、本件墓地区画に永代使用権を取得したものの、経済的理由から墓石を設置することができなかったが、経済的ゆとりができたために、平成五年からは、本件墓地区画に墓石を設置することを計画し、現在、「A野家之墓」ではなく、題目を刻印した本件墓石の設置を強く望んでいる。

したがって、右事実に照らすと、本件訴えが、被控訴人の意思と関係なく、創価学会の日蓮正宗ないし控訴人に対する攻撃ないし嫌がらせのために追行されているとまでは認めることができない。

控訴人の当審における主張2も、採用することができない。

3  本件使用規則による合意について

(一) 1で認定したとおり、本件墓地は、日蓮正宗の信徒及びその親族ら有縁者のために開設された寺院墓地である。そして、本件使用規則では、使用者の資格について「本宗信徒又は本宗によって祭祀を主宰する者」と限定されている。被控訴人も、本件墓地区画に永代使用権を取得した際、本件墓地の使用については本件使用規則によることを合意している。

右によれば、日蓮正宗の信徒であれば、本件墓地においては、日蓮正宗の典礼施行に従って墓石を設置することが当然予定されているものと解される。そして、被控訴人が本件墓地区画に永代使用権を取得した当時、被控訴人は日蓮正宗の信徒としてこれを取得し、本件使用規則に従うことを合意していた。したがって、被控訴人は、「本宗によって祭祀を主宰する」こと、すなわち、日蓮正宗の典礼施行に従って墓石を設置することを合意していたというべきである。この場合、信徒の側が典礼の細部を知らず、その細目が合意されていなくとも、典礼について当該寺院の住職の指導に従うことが合意されていれば、墓石の設置に関する合意としても十分である。

(二) しかし、被控訴人が日蓮正宗の信徒でなくなったときには、宗教的典礼に関して右と同様にいうことはできない。被控訴人にも信教の自由があるからである。先に触れたとおり、この点は、控訴人も認めるところである。

したがって、信徒でない者が宗教的典礼に関し信徒であった当時と同様の定めに従う義務があるというためには、そのような合意が必要である。しかし、そのような合意が成立したとの証拠はない。

また、本件墓地内において、信徒でない者も墓石には控訴人の住職の書写した題目を刻印するとの慣習が成立していると認める証拠はない。

控訴人の当審における主張3が、被控訴人が信徒でなくなった後のことも主張しているとすれば、それは、採用することができない。

4  本件墓石の許容性について

(一) そこで、本件墓石を本件墓地内に設置することの可否につき判断する。

まず、墓地、埋葬等に関する法律(墓地法)は、当該墓地が寺院墓地である場合も、公共の福祉の観点から、他の宗教に対して一定の宗教的寛容を要請しているというべきである。

すなわち、墓地法一三条は、「墓地……の管理者は、埋葬……の求めを受けたときは、正当の理由がなければこれを拒んではならない」と規定する。そして、被埋葬者が異教徒であることは、右の「正当の理由」に当たらないと解されている。これは、墓地管理者が埋葬を拒否することにより公衆衛生上の問題が生じることがないようにするためであるが、墓地はその性質上人間の宗教的感情を切り離すことはできないものであるから、異教徒にも埋葬の地が与えられる以上、これに対する一定程度の宗教的寛容もまた要請されているといわざるをえないのであって、その限りで、寺院墓地であっても、その墓地内に一定限度内での異なる宗教の併存が予定されているのである。

(二) 本件墓地は、控訴人が管理する日蓮正宗の寺院墓地であるから、本件墓地区画に永代使用権を有する被控訴人が、その権利に基づいて墓石を設置する場合であっても、控訴人の宗教活動を阻害したり、その宗教的感情を著しく損なうものであってはならない。

日蓮正宗の教義によらない墓石、すなわち、控訴人の住職が当該墓石用として書写したものではない題目を刻印した墓石の存在は、主観的には、控訴人の宗教的感情を害するものであろうし、本件の経緯からみると控訴人にとっては耐え難いものと感じられるかもしれない。

しかし、一方、日蓮正宗と同様の信仰を有しながら非宗教の墓石しか許されないことも、その者にとっては、耐え難い精神的苦痛を与えるものと解される。

これらの苦痛は、主観的には甲乙つけ難いものといわざるをえない。先に挙げた墓地法の精神からすれば、この場合、墓地の使用権者のみこの苦痛を受忍すべきであるといえず、寺院の側にも一定の宗教的寛容が要請されるといわざるをえない。そうであるとすれば、両者の主観面ではなく、客観的な側面から、右のような墓石の設置の可否を判断せざるをえない。

被控訴人が設置を望む墓石の様式は、日蓮正宗の方式に概ね従っている。住職の書写によらないとはいっても、刻印される文字は同一で、様式も極めて類似している。外形的にみる限りは、日蓮正宗の墓石ともいえるほどである。そうすると、本件墓石は、客観的にみる限り、本件墓地内に異形のものを持ち込むものとは解されない。そして、墓地内での寺院以外の他宗派の方式による読経その他の典礼が行われる場合と比較すれば、当該墓地が第三者によって他宗派の墓地と誤認されるおそれも少なく、控訴人にとって実際的な被害が生じるとは考えられない。

控訴人は、本件墓石一基だけではなく、このような墓石が増えることを懸念する。

しかし、《証拠省略》によれば、本件墓地には約五四〇基の墓石が設置されているが、必ずしも日蓮正宗の教義によっていない墓石が複数ある。しかし、この墓石の存在によって控訴人の宗教活動が害されたとの事実を認めることができない。

右によれば、本件墓地区画に本件墓石を設置することは、許容されるべきである。

控訴人の当審における主張4も、採用することはできない。

二  したがって、被控訴人の本件墓石を設置する権利の確認及び本件墓石設置の拒絶禁止の請求を認容した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 淺生重機 裁判官 江口とし子 裁判官菊池洋一は、転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 淺生重機)

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